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鏡像問題 鏡の中の像はどうして左右だけ反転して上下は反転しないのか? 2

 

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鏡の中の像はどうして左右だけ反対になって、上下は反転しないのだろうか?

この問題は、簡単には前述の記事で完全に説明されている。

ところが・・・

じゃぁ、それはそれとして、前後関係が反転しただけなのに、なぜ左右も反転したように「感じられる」のか?

と、つっこんだ質問をする人が、ときどき、いる。

ん?どういう意味?

という人はここから先は読まないほうがいいかもしれない(苦笑)

つまり、こういうことである。

前の説明を理解することはできた。鏡の中と、現実世界は、前後関係が反転しただけで、たしかに、あとは何も反転していない。でも、それなのに、どうして、鏡の中の自分は、左右が反転しているようにみえるのか?」

と・・・。

「そうは思わない、前述の説明で実にスッキリした!実際に反転しているのは前後関係だけで左手は、左手の方向にあり、右手は右手の方向にある。頭は頭の方向にあり、足は足の方向にある。何も変ってないよ」

Cocolog_oekaki_2017_04_03_17_04

と言い張ることができる人はラッキー、ここから先を読む必要がないヽ(´▽`)/

いや、読まないほうがいいだろう(苦笑)。

しかしっ!世の中、そんな素直な人たちだけではない┐(´д`)┌

少数派だが納得できない人たちがいる。

彼らは、頭の中で、鏡の中の人間と、実物の人間を横に並べている。

実物と鏡像を横に並べ、同じ方向を向かせると、左右は確かに逆になっているのだ。

 

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Cocolog_oekaki_2017_04_03_17_09

前後関係だけを入れ替えた2つのものを用意して、それを前後の向きをそろえて横に並べると、左右が逆になるのはアタリマエのことで・・・

「どうしてそんなアタリマエなことがわからないの?」

と、一見、つっこみたくなるような疑問であるが

実は・・・

この疑問は、頭が悪いとか、思考の不足とかによるものではなく

いわゆるトポロジーの問題であって、実に奥が深い。

トポロジーを考察するうえで欠かせないのは立体認識能力である。

 

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たとえば・・・

鏡の上に立った状態を考えてみよう。

このとき、鏡の奥行きの軸は、上下関係、つまり頭と足を結ぶ体軸になる。

鏡の上に立つと、鏡像と実物では、上下関係が逆になる。

異論はないであろう。

しかし、

左右関係については、面白いことに・・・

左右も入れ替わっていると感じる人

左右は入れ替わっていないと感じる人

に意見がわかれるのである。

あなたは、どちらだろうか?

「いやぁ、上下関係が入れ替わっているだけで、左右は入れ替わっていないよ」という人は、ここから先を読んでも混乱するだけだ。読まないほうがいいかもしれない。

今回の話は、

鏡の上に立つと、「上下関係だけでなく、左右も入れ替わっている」

と感じる人たち(おそらく少数派)への話だ。

この状況は、鏡の前に立ったときに左右が反転して感じられる現象と、全く同じなのである。

上下関係が入れ替わった2つのものを用意して、上下を同じ向きに揃えて横に並べると、左右が逆になる。

「なぜ、鏡の上に立つと左右が反転するの?」と、疑問に感じる人は頭のなかで、上下をそろえて比較しているのだ。

しかし、鏡の上に立ったときも、実は鏡像と実物の左右は反転していないのである。

結局・・・

鏡の前に立ったときであろうと、上に立ったときであろうと、

反転しているのは、前後関係や、上下関係だけで

実は左右は反転していない。

この説明で納得できる人は、それでOKだ。

しかし・・・

鏡の前に立ったときであろうと、上に立ったときであろうと、

実は左右が反転していないのは理解できるけど

でも、左右が反転しているように「みえる」のはなぜ?

と、しつこく疑問に問う人が必ず少数いる。

 

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これは、結局

前後関係だけが入れ替わった2つのものを、前後を同じ向きにして横に並べると、なぜ上下ではなく左右が反転するのか・・・?

という疑問と本質的に同じである。

アタリマエのことのようであるが、なぜ 1+1 = 2なのか?という質問と同じぐらい奥が深い。

上下関係だけを入れ替わった2つのものを、上下を同じ向きにして横に並べると、なぜ左右が入れかわるのか・・・?

という疑問である。

 

この問題に対する答えは・・・

結論から先に言ってしまおう。それは、

人間の脳が、上下前後の決定を、左右の決定より優先しているから

である。

 

人間は、無意識に、まず上下、前後を決定する。

そうしなければ、左右は単独では決められないのである。

上下、前後の決定なしには、左右は決められない。

人間は、上下と前後を「基準にして」、相対的に左右を決定しているのだ。

前後が決まっても、上下が定まらないと、人間は左右を決められない。

上下が決まっても、前後が定まらないと、左右を決められない。

どっちが上か下か、またはどっちが前か後かで、左右がいれかわる。

 

ためしに、

あなたの脚の方向が「上」だと定義すると、

左右の決定に、前後の確認を必要とすることがわかる。

「上」と「前」を基準にして左右を決定したはずだ。

そうすると、上下関係の定義を逆にしただけなのに、

勝手に左右関係が反転するのがわかるだろうか。

上下の定義が反転すると、前後関係が維持される限り、自動的に左右は反転するのだ。

前後が決まり、

上下が決まれば、

それを基準にして、左右が決まる。

これは人間が無意識におこなっていることである。

前後が反転すれば、上下が変らなくても、左右が反転してしまう

上下が反転すれば、前後が変らなくても、左右が反転してしまう

 

これが理解できれば、次のようなことも理解できる。

たとえば、

上下関係を維持したまま、人間の前後の定義を逆にすると、それでも左右は反転する。

これが、鏡像問題の本質である。

鏡の世界では、上下関係が維持されたまま、前後関係が反転しているため、現実の世界と左右の定義が反転するのである。

 

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さらに、もう少し考えてみよう。

人間の感覚と言うのは実におもしろいもので・・・

左右関係を強引に維持したたまま、前後の定義を反転させれば、こんどは、なんと上下が反転して「感じられる」のである。

つまり・・・

もし、人間が、上下の決定より左右方向の決定を優先される世界に住んでいれば、鏡の前に立ったあなたには上下がいれかわって「みえる」はずなのだ。

人間の脳はフレキシブルに対応することが可能なのである。

 

例えば・・・

人間の左手が緑色であると仮定してみる。

そして、その緑色の手の方向を絶対に「左」とよぶ世界に住んでいるとする。

そうすると、おもしろいことに

逆立ちしていようが、寝そべっていようが、まずあなたの「左」が絶対的に決まるだろう。

このような世界、すなわち、左右の関係が絶対的に決定される世界では、

上下または前後の関係のどちらかが、相対的にならざるを得ない。

前後左右上下のすべてが絶対的に決定されることは不可能なのである。

仮に、前後の関係が絶対的であるとすると

上下の関係が相対的になるのだ。

たとえば、実世界では、緑色の手の方向である「左」を基準として、反時計方向に90回度転した方向を「上」とし、「上」の反対方向を「下」というように、相対的に決定される。

「左右」、「前後」の決定が絶対的になると、「上下」関係が2次的、相対的なものとなる。

そういう世界に生きていると仮定して

鏡の前にたってみよう。

あなたは鏡に映ったあなたの緑色の手をみて、その方向を「左」と思うはずである。

そして、鏡像をみてあなたは奇異に思う。

左手から反時計方法に90度の位置=実世界では「上」の位置に、脚があるからだ。

実世界では「上」にあるのは常に頭である。

鏡の世界では、上下関係が逆転しているように感じられる。

鏡の中のあなたは、まるで頭と足の位置が反転しているように感じられるであろう。

しかし、実は、このときも・・・

反転しているのは前後関係で、実は、上下関係は反転していない。

そして、やはり足で立っている。

 

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さぁ、いよいよココからが本番である。

もっとややこしい話になる。

がんばって読んで欲しい。

人間の左手が緑色をしているだけでなく

人間の体が上下に対称

すなわち頭と足が同じ形をしていたらどうなるだろう・・・?

という考察だ。

ここでは、同じ形をした頭と足を、どちらも「頂」とよぶことにする。

同じ形をした「頂」が、人間の体の「上」側にも「下」側にもついている・・・

「上の頂」と「下の頂」ということだ。

気味が悪いが(苦笑)。

 

そんなあなたが鏡の前に立つと・・・

鏡にうつった緑色の手をみて、鏡の世界の「左」を認識する。

ここまでは、さっきと同様だ。

しかし、さっきの考察とは違う点がある。

先ほどの考察では、鏡の像のあなたは、まるで頭と足の位置が反転しているように感じられるであろう

と前述したが

今回の例では、大多数の人がそうは思わない。

鏡像のあなたは、単に「上頂」で立っている

と感じられるはずである。

そして・・・これこそが、この記事で問題にしている少数派の本質だ。

少数派は、鏡の像のあなたは、まるで「上頂」と「下頂」が反転しており、やはり「下頂」で立っていると感じるのだ。

これは、先ほどの例で、まるで頭と足の位置が反転しているように感じられ、やはり足で立っているということと同じだ。

そろそろ全員脱落するような、きわめてややこしい話をしている。

(そもそも、この話を疑問に思わない人にこの議論が理解できないのはあたりまえである)

大多数の人は

実物の自分は「下頂」で立っているのに、鏡像の自分は「上頂」で立っている

と感じるときに

一部の少数の人たちは

いやいや、実は鏡像では「上頂」と「下頂」が逆についていて、実物でも鏡像でも「下頂」で立っているよ

というのだ。

そういう少数派が、上下は入れ替わっていませんよ、という説明をうけると

たしかに、実物でも鏡像でも「下頂」で立っているんだから、そうだよね。

でも、それは、鏡像では「上頂」と「下頂」が逆についているからでは?

と疑問に思うのである。

 

本題である鏡像問題についていえば、

「実物の自分は右手を動かしてるのに、鏡の中の自分は、"左側についた右手"を動かしているように、みえる・・・」

と主張するのが少数派の人たちである。

 

つまり、

鏡像問題を理解するためには、

人間にとって、左右の決定が相対的なものである

と同時に、

人間のからだが左右対称である

という、2重のトリックを見破る必要があるのだ。

 

人間の脳というのは、

前後左右上下のある1つの軸が逆転した物体をみて、

その軸を瞬時に補正し、別の軸を反転させて理解する・・・

という能力を有している。

通常

人間の世界では、左右の決定は、前後または上下の決定の後におこなわれる。

したがって、前後か上下のどちらかを反転させると、

前後、上下の関係を補正して揃えしまう結果、左右が反転してしまう・・・

そもそも上下と前後の決定が、左右の決定より優先されるのは、人間のからだが左右対称だからであろう。

 

この世でいちばんわかりやすい・・・と思えるような説明を試みたが・・・

かえって難しくなってしまったかもしれない・・・

この問題は簡単そうにみえて、実は

複数のトリックに阻まれた難しい問題である

どの本やサイトをみても答えが不十分と考えられるので、できるだけ詳しく解説してみたが、どれだけの人が内容を理解できたであろうか・・・

管理人は、仕事柄、トポロジー問題を考察するのは得意中の得意であるが・・・しかし!

自分の脳内に出来上がった複雑な空間的、立体的イメージを文章で人に伝えるというのは、これまた別次元の・・・というか、実に難しい問題である・・・(/□≦、)

 

誰か上手な絵、描いてくれんかな?汗

 

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コメント

鏡像と実物を比較する時に、

①前後と上下を揃える→左右が逆転(これが普通)
②上下と左右を揃える→前後が逆転
③前後と左右を揃える→上下が逆転(これは盲点)

とにかく上下を固定するというのが、人間のほぼ絶対的な習慣です。 

コメント投稿者様

記事前半のポイントは、その通りです。まとめていただきありがとうございます。

しかし、この問題はもう一歩踏み込んで考える必要があります。左右が反転して見えるのは、人間の体がほぼ左右対称だからであって、もし人間の体が左右対称でなければ、左右の器官が逆についていると感じるはずだからです。

「左右が反転して見える」という感覚と、「左右が逆についている」という感覚を区別できる人は、ここを疑問に感じています。

記事後半は、そこにフォーカスをあてています。

 初めまして。チコちゃんを見て、鏡の見え方を自分なりにいろいろ考えました。答え合わせをしようと検索して、ここのページを見つけました。
 後半の解説は、鏡像の知らない世界にたどり着いた感じです。

 「鏡像の左側についている右手」の前の、緑の左手の解説で、左右最優先が想像できませんでした。そこで、シオマネキの着ぐるみを想像してみました。右鋏の大きいカニです。
 この場合、鏡像の横に並ぶ想像をしたときに、鋏がぴったり重ならないから「左側に右鋏」と感じるのでしょうか。それとも、右手を動かそうと思ったタイミングぴったりに動くものなら、相手が形の違うロボットアームやCGでも右手と認識するのでしょうか。

早咲さん、コメントありがとうございます。
> 「鏡像の左側についている右手」の前の、緑の左手の解説で、左右最優先が想像できませんでした。そこで、シオマネキの着ぐるみを想像してみました。右鋏の大きいカニです。

えっと・・・想像してみます(苦笑)。「大きいはさみがついている方向を必ず右」とよぶ世界でしばらく生活してみます。そうやって頭を慣らして、鏡をみると、鏡の中の世界でも、大きなはさみがついている方向を右と感じるはずです。そして、ここが勘違いされているところだと思いますが、鏡の中のカニが飛び出してきて、実世界のカニ(あなた)に並ぶとき、横に反転して(本を開くようにして)横に並ぶのではないのです。そうではなくて、上下をぐるりと反転させて(鉄棒の逆上がりのように反転して)、あなたの上に並べるはずなんです(なぜかといわれると、そういうふうに、何かを比べるときには、右をまず一致させることに慣れてしまっているとしか言いようがないのですが・・・)。大きなはさみの方向が右、と決まっているのですから、大きなはさみの方向を動かさないように反転させます。そうやって、あなたに並びます。そうすると、鏡の中から飛び出してきたカニの大きなはさみはやはり「右」にあり、そのかわり、そいつの上下(または前後)が逆になっているように感じることでしょう。言葉で説明するのは、難しいですね・・・(すみません)。

 早速の回答をありがとうございます。

 ええと、質問が良くなかったです。左右の決定が最優先という心持ちがどうしても想像できなかったので、上下前後の決定を最優先にしたまま、左右対称性のトリックだけでも理解したいのです。人形を回す手順は理解できても、そこに感情移入ができません。
 どうして着ぐるみかというと、カニの気持ちはわからないので、心理は人間のままでということです。

 1.私の見え方は、何も反転していなくて、強いて言うなら前後が反転しています。
 2.左右が逆に映っているという人は、鏡像が左利き(左が大鋏)のカニに見えます。
 3.更に、左側に右鋏がついているカニが映っていると思う人がいるわけですよね。

 本物のカニを鏡に映したとき、鏡像のカニが1.か2.に見えるなら、3.は自分で手を動かすところがポイントなのかなと思ったのです。ペーパークラフトで実験していて気づかなかった部分なので、教えてほしいです。

>早咲さん
あ、そういうことですね!
理解はあっていると思います。鏡の前で右ばさみを動かしたとき、左側についている「右ばさみ」を動かしていると感じる人がいる可能性があります。ただし限りなく少数派~ゼロに近いのではないかと思います。左に右がついていると感じることができるのは「左右対称性」がある場合であって、左右非対称性の「右ばさみ」がついているような場合には、ほぼほぼ100%の人が、鏡像を、左利き(左が大鋏)のカニであると解釈すると思います。

管理人様

ありがとうございました!
たぶんわかりました。(わかっていないかもしれませんが(^^; )
鏡問題は深いですね。


自分の日記からリンクを張らせていただきます。
https://open.mixi.jp/user/450017/diary/1976181652
お世話になりました。

(これはお礼と報告なので、お返事はいりません。あとで削除してください。)

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