位置エネルギーなんてホントはないんじゃないかなぁ・・・
特殊相対性理論によって発見された総エネルギーの式
(総エネルギー)2 = (静止エネルギー)2 + (運動エネルギー)2
と、
古典的な力学的総エネルギー保存の法則
(力学的総エネルギー)= (位置エネルギー) + (運動エネルギー)
を見比べているうちに、
位置エネルギーというのは実は「まぼろし」ではないのか?
という疑問がふつふつとわいてきました。
(※本記事で言う位置エネルギーとは重力によるよる位置エネルギーのことです。ばねや電磁気力による位置エネルギーを含んでいません)
アインシュタインが発見した総エネルギーには、「静止エネルギー」と「運動エネルギー」があるだけで、「位置エネルギー」なんてどこにもありません。
なんかおかしい・・・
静止エネルギーが位置エネルギーなのか?
いやいや、全然違います。
アインシュタインの「総エネルギー」に含まれないエネルギーなんて存在しないはずです。
相対性理論によると、運動エネルギーは速度に比例するため、速度をあげればいくらでも増やすことができます。
一方、
力学的総エネルギーの法則によると、運動エネルギーは位置エネルギーとのやりとりをしなけば増やすことはできません。
ムムム・・・?
なんか、おかしい。
そもそも、運動量は保存されるけれども、運動エネルギーは保存されません。→運動量と運動エネルギーの違い
運動エネルギーは熱になったり、分裂したりすることで変化します。
考えているうちに、
実は、位置エネルギーなんて「実存しない」んじゃないか?
という気がしてきました。
というか・・・
位置エネルギーとは、結局、その実態は運動エネルギーの「幻影」か「まぼろし」みたいなものではないでしょうか。
もっと言えば、
位置エネルギーなんて、
将来予測される運動エネルギーの「見込み」・「希望的観測」・「準備段階」・「可能性」にすぎないのではないでしょうか?
「見込み」ってことは、「今はない」ってことです。
位置エネルギーが「ある」としたら、位置エネルギーそのものを測定できるはずですが、
現実には、
位置エネルギーはそのままの状態では決して測ることはできず、運動エネルギーの形として取り出されたものしか測定できません。
位置エネルギーとは、結局、予想される運動エネルギーにすぎない・・・
そう考えると・・・
運動エネルギーと位置エネルギーの総量が保存されるのは逆にあたりまえなんです(後で説明します)。
力学的運動エネルギー保存の法則なんて・・・実は法則でもなんでもない。
変化した運動エネルギーのうち、熱や分裂で説明できないものを位置エネルギーと言っているだけで・・・
こう考えてみてください。
無重力空間にある物体が浮かんでいるとします。
その物体は静止しており、何の力も受けていないとします。
運動エネルギーはゼロですね。
位置エネルギーはありますか?
ゼロです。
では、その物体を、無重力状態で動かして別の位置にずらしてみましょう。
位置をかえたからといって、エネルギーは増えたでしょうか?
増えません。
しかし―――
その物体の近くに、突然、地球が現れたとします。
引力にぴっぱられて動かないように支えます。
すると、
突然、位置エネルギーが誕生します。
どこからでてきたのでしょうか?
物体のどこかに隠れていたのでしょうか?
そんなはずはありません。
いま、誕生した位置エネルギーは、そこに「ある」ようにみえるだけで、実は「最初からないのでは?」という気がしてなりません。
その証拠に、地球が消滅すると、今まで「ある」と思っていた位置エネルギーは忽然と消えうせます。
結局、
位置エネルギーとは、ある物の周りに力の場が発生したときに、その物体が、「よーっし、運動するぞ!」という運動の予感を彷彿させるエネルギーというか、今から始まる運動エネルギーの「見込み」・・・
みたいなものだと思います。
今、この瞬間に物体内部に存在するエネルギーではありません。
位置エネルギーは計算できますが、その物体から直接取り出して利用することは不可能です。
これは、
相対性理論による総エネルギーがいつでも取り出せるエネルギーであることと大きく違います。
相対性理論による運動エネルギーは、物体が運動しているかぎりその物に内在するエネルギーであり、たとえば無重力空間を飛んでいる物体をとめることによってそのエネルギーを取り出し、利用する(熱に変える)ことができます。
相対性理論による静止エネルギーは、その物体が存在する限り、その物に内在するエネルギーで、たとえば核分裂によってそのエネルギーを取り出し、利用することができます。
しかし、
位置エネルギーを利用しようと思えば、必ず、運動エネルギーに変えてからでなければ利用できません。
しかも、
位置エネルギーは、地球が消えたり現れたり、バネで引っ張ったり引っ張らなかったりするだけで、現れたり消えたりします。
エネルギーが消えたり現れたりしているのではありません。
実は、運動エネルギーの「見込み」が消えたり現れたりしているのです。
もし、さっきの物体の近くに現れたのが地球ではなく木星であれば、地球のときよりも大きな位置エネルギーをもつことになります。
つまり、力を及ぼす他者との関係によって、大きさがコロコロかわるんです。
そんな勝手な量がエネルギーとして実在しているはずがありません。
位置エネルギーとは、運動エネルギーになりそこなっている、エネルギーの見込みであり、運動が確定しない限り、いつでも消失しうるものです。
位置エネルギーがどんだけ増えたようにみえても、その物体そのものの内部エネルギーは増えていません。
ふえているのは、「見込み」です。
そう考えると、
力学的総エネルギー保存の法則
(力学的総エネルギー)= (位置エネルギー) + (運動エネルギー)
なんて、結局、運動エネルギーの出入りを都合よく記述しているだけです。
書き直せば、
(将来的に発揮可能な全ての運動エネルギー)
= (今から発揮される見込みの運動エネルギー)
+ (今すでに発揮されている運動エネルギー)
といっているにすぎません。
実体は、全部、運動エネルギーです。
そして、
「今から発揮される見込みの運動エネルギー」なんて、今の時点ではどこにも存在するはずがないんです。
たとえば地球が「ふっ・・・」っと消失するだけで消えてしまいかねない、いわば「エネルギーの可能性」にすぎません。
物体の位置エネルギーは、物体が「運動して」はじめて運動エネルギーという実存のエネルギーとなります。
高校で物理を習ったときには、素直に、
物体を力Fに抗してx移動させると、Fx分の「位置エネルギー」が物体に新たに発生してそれがその物体に蓄えられる。
と思っていました。
どんな風に教えられたかといえば、
質量mの物体に力F = maが作用した結果、xだけ移動したとしたら、どれぐらいの速度vになるかを計算します。
これは、運動方程式をとくだけで
v = √(2ax)
となることがわかります。
このことから、質量mの物体に力maが作用して、xだけ移動したときの運動エネルギーの変化を求めると、(1/2)mv2 に、v = √(2ax)を代入して、
(1/2)mv2 = (1/2)m(2ax) = max
にとなることがわかります。
結局、
今から質量mの物体に力maが作用して、xだけ移動したときに予測される「見込み」の運動エネルギーは、たまたま計算上、maxになっているだけです。
ですから、
「見込みの運動エネルギー = max」
とでも定義しておけばいいわけです。
これを、
力maに抗してx移動させると、max分の「位置エネルギー」が新たに発生してそれがその物体に蓄えられる
というのは、明らかにいいすぎだろー!!!
と思います。
位置エネルギーといっているのは、あくまで「これから見込まれる運動エネルギー」であって、今、ここに現存するエネルギーではありません。
本質は、単に予定される運動エネルギーです。
何か「位置」に関係した特別なエネルギーが発生しているわけではありません。
ものを高いところから低いところに移すと、位置エネルギーが減るといいます。
位置エネルギーが減るといっても、もともと何か「位置エネルギー」というエネルギーが存在するわけでも、それが減るわけではないのです。
これから発揮されるはずだった「見込み」の運動エネルギーが計算どおり本物の運動エネルギーとなって新たに現れただけであって、
あくまで予定されたものが出現しただけで、現実には別に何も失っていないのです。
同様に、物が自由落下するとき「位置エネルギーが運動エネルギーに変る」などといいますが、「見込み」の運動エネルギーが予定通り増えているだけです。
失う位置エネルギーなど最初からありません!!!
英語ではPotential Energy、=「可能性のエネルギー」ですから、英語で学ぶ限り、日本のような誤解は生じません。
つまり、位置エネルギーという語感が日本人の理解を妨げている一因かもしれません。
もしかして、Potential(可能性)を誰かが Positional「位置的な」と誤訳した?
なんか・・・
個人的には、位置エネルギーなんていうエネルギーは実在しない、と考えることによって頭のモヤモヤが晴れ、とてもすっきりした気分です。
補足
一応、重力は保存力で、位置エネルギーはそのスカラーポテンシャルである、みたいな話(数式で言えば下記のようなこと?)は少しは理解したうえでの雑感です。
重力ポテンシャルは、ある物体Aのまわりに生じている「何か」です。その「何か」が別の物体Bに位置エネルギーとやらを生じさせるのだとしたら、その位置エネルギーは、物体Aの内部に生じているわけではありません。かといって物体Bの内部に生じているわけでもありません。位置エネルギーは一体どこにあるというのでしょう?
たとえば、ばねにモノを押しつけると、モノに位置エネルギー(弾性エネルギー)が生じると言われていますが、本当にモノのエネルギーが増えていると思いますか?単に、ばねから放たれたときに運動する可能性ではないでしょうか・・・
おまけ
などと言っておいてアレですが・・・
位置エネルギーを「あえて」認めるとすると。
アインシュタインが発見した総エネルギーのうち、総エネルギーの中に隠れている運動エネルギーと、言えるかもしれません(→いや、やっぱり言えないというのが結論)。
下図の「位置エネルギー」と描いた部分です。
どういうことかというと・・・
一般相対性理論では、
自由に落下している物体・・・慣性系。静止している状態(と区別がつかない)
地面に静止している物体・・・非慣性系。運動している状態(と区別がつかない)
とニュートン力学に対して慣性系(静止状態)と非慣性系(運動状態)が全く反対になります。
たとえば・・・
テーブルの上にリンゴがのっているとします(地球上の話です)。
リンゴには重力がかかっているのに、静止しています。
秤の上にのせてみれば、重量質量をしめすはずです。
このとき、リンゴが持っているエネルギーは、静止エネルギーだけでしょうか?
一般相対性理論によると、自由に落下している物体(慣性系)からみると、机の上に静止しているようにみえるリンゴは運動している状態と区別がつかない(非慣性系)といいます。
すると、机の上に静止しているようにみえるリンゴがもつ総エネルギーは、静止エネルギー+運動エネルギーだと考えることができないでしょうか?
しかし。
リンゴが静止していると思っている人にとっては、この運動エネルギーの存在は、受け入れ難いものでしょう。
なので、これを運動エネルギーとは言わず、位置エネルギーだと表現する・・・のだとしたら?
いま、このリンゴがテーブルから落下すると、
リンゴが静止していると思っていた人は、
リンゴが新たに運動エネルギーを獲得したかのように理解することになります。
しかし、リンゴと一緒に自由に落下する物体(慣性系)からみると、落ちるリンゴは、運動状態(非慣性系)から静止状態(慣性系)に戻った・・・運動していたリンゴの運動がとまったようにみえないでしょうか。
こねくり回して言えば、「総エネルギーの中に隠れていた運動エネルギー」(=位置エネルギー?)が運動エネルギーとして解き放たれ(失われ)、静止エネルギーのみの状態になった・・・と考えることができないでしょうか?
自由落下するリンゴ自身も重力加速度を感じていないはずであり(落ちるリンゴは感覚的に無重力感を感じているはずです・・・)、このときリンゴそのものが自覚している総エネルギーは無重力状態に静止しているリンゴと同じ、つまり、静止エネルギーだけでしょう。
・・・
なんてことを考えても、やはり疑問はスッキリしませんね。
重力とかばねとか電磁気力とか・・・そんなものがないところにあるモノに位置エネルギーなんてない・・・これだけは確実でしょう。
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同じことを考えました。ありがとうございます。
投稿: | 2020年10月30日 (金) 01時37分
すごく同じことを考えていらっしゃって嬉しくなりました笑
エネルギー保存の本質は
(外力の仕事)=(運動エネルギーの変化)
なのであり、この等式を変形した時に上手く理解が進むから導入したに過ぎないのが位置エネルギーなのではないかと思います。
投稿: | 2021年7月26日 (月) 00時46分
コメントありがとうございます!
投稿: 管理人 | 2021年7月28日 (水) 06時34分